帰国報告記者会見(2005年9月28日)最終更新日:2005年10月3日 2005年9月28日(水)、野口宇宙飛行士は文部科学省に中山成彬文部科学大臣を表敬訪問しました。 中山成彬文部科学大臣からは、スペースシャトル「ディスカバリー」号の飛行ミッションにおいて、船外活動を行った日本人として初めてリーダを務め諸活動を成功に導き、広く日本国民に宇宙開発に係る科学技術のすばらしさを認識させたとして、野口宇宙飛行士に対して、科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術特別賞が贈られました。 その後、文部科学省記者会見室で記者会見が行われました。 まず、集まった記者に対する野口宇宙飛行士の挨拶から始まりました。 野口:こんにちは。JAXAの野口聡一です。皆様の応援のおかげをもちまして、STS-114ディスカバリー号ミッションを無事に完了致しました。15日間の旅でしたけれども、自分が訓練してきたこと、やりたかったことを100%燃焼できたという思いでいっぱいです。飛行が終わってから2ヶ月近く経ちますけれども、やはり飛行中に見た地球の美しさや、国際宇宙ステーションの立派な姿を今でも印象深く覚えております。 今回の日本の帰国ですが、お世話になっている皆様へのご挨拶方々、子ども達やずっと応援して頂いた日本の皆様に直接お会いして、感謝の気持ちと宇宙の美しさをお伝えしていきたいというのが、私の願いです。また、ハリケーンの影響で、他6名のアメリカ人クルーの到着が若干遅れておりますが、今週の後半にはこちらに来られるように調整しておりますので、クルーが勢ぞろいしたところで、また皆様とご挨拶する機会があるかと思います。 今後も、国際宇宙ステーションの組立はまだ続きますし、先般発表された、アメリカでも次世代の宇宙船の建造に向けて新しい動きが始まっておりますので、JAXAの宇宙飛行士一同、さらにはJAXAが一体となって、有人宇宙活動を進めていき、私も他の宇宙飛行士の支援を含め、有人活動の充実に尽力していきたいと思っております。 【報道陣との質疑応答】 引き続き質疑応答が行われました。 Q.初めての帰国ということで、日本の皆さんにどんなメッセージを伝えたいですか? A.まずは率直な私の感想、地球の姿、宇宙の美しさ、国際宇宙ステーションの様子といったことを皆さん興味持っていらっしゃいますので、そのようなことを、自分の言葉でリアルな体験を伝えていければなと思っています。 Q.宇宙から日本に戻ってきた感想をお願いしたいのですが。 A.日本には1年と2ヶ月ぶりですが、日本に帰ってきてホッとしたというのが正直なところです。日本に帰ってきて、こんなにも皆さんに応援して頂いていたんだなということを連日思い知らされているところでして、照れくさいところもあるんですが、応援していただいたことの有り難さをかみしめております。 Q.さらには、今後の目標をお伺いしたいのですが A.まずは今回のフライトで得た経験、教訓といったものを他の日本人宇宙飛行士、さらにJAXA、NASAといった宇宙機関に向けて反映していきたいと思います。それから、「きぼう」実験モジュールの打上げが目前に迫っておりますので、我々宇宙飛行士も、この「きぼう」モジュール打上げミッション成功に向けて支援をしていきたいと思います。 私自身もこの次のフライト機会の獲得を目指して、長期滞在あるいはロシアでの訓練といったものが考えられると思いますので、新しい目標を定めて、それに向けて走り出したいと思っています。 Q.今、子ども達の中で「宇宙飛行士になりたい」「野口さんのようになりたい」という声が多いですが、夢をかなえるためには何をしたらいいと思いますか? A.小さい子ども達がこのミッションを一生懸命見てくれて、宇宙飛行士の仕事を含めて宇宙に夢を持って頂けたことは本当にうれしいことです。自分のやりたいことをしっかりもって、それに向かってまっすぐ歩いていけば、いつの日か夢はかなうと思いますし、時間がかかったり、思いもかけない形で夢がかなったりということもありますので、自分がやりたいことをまっすぐ見据えて、それに向けて頑張ってくださいというのが、私からのメッセージです。 Q.EVAで試されたタイル修理技術の実証ですが、その結果はどうなったのか、わかったところまで教えてください。 A.耐熱タイルとRCCパネルの修理デモンストレーションは第1回の船外活動で実施しましたけれども、現在NASAでは、それを風洞実験にかけて、宇宙空間で行った修理が本当に再突入の時の熱に耐えられるのかということを確認している最中です。NASAの研究センターの中の、アークジェットという風洞にかけて3000度(華氏)ぐらいの熱に耐えられるかどうか、耐えた場合には表面はどうなっているか非常に細かくチェックすることになっています。 Q.茅ヶ崎の海岸で「烏帽子岩ライトアップ作戦」というものを行ったのですが、野口さんは烏帽子岩が見えたでしょうか?
A.茅ヶ崎の皆さんには今回本当に熱烈な応援をしていただいて、本当に感謝しています。烏帽子岩はライトアップの夜は天候に恵まれず、夜だったこともあり、見えなかったんですが、日中神奈川県のあたりを何度も通りまして、私も頑張って写真を撮っていました。 地上に還ってきてから一枚一枚写真を丹念に見ていましたら、ちゃんと烏帽子岩が写っていたんですね。心の目でみる・・・なんて話もしていましたが、宇宙空間からも見えるという証拠写真を持ってきましたので、茅ヶ崎市での報告会に、茅ヶ崎の皆さんに是非お見せしたいと思います。 茅ヶ崎に帰ったときに何をしたいかという話ですが、他の6名のクルーと一緒に茅ヶ崎にお伺いする予定ですので、僕自身の故郷を見てもらいたいというのもありますし、クルーに烏帽子岩付きのネームタグをプレゼントして、みんな喜んで付けていたりしたんですけれども、その実物の烏帽子岩を海岸から見てもらえたらなと思います。
Q.日本の皆がこんなに応援してくれたということを実感したとおっしゃっていましたが、具体的にどんなことから、そのように感じられたのか具体的に教えてください。 A.地下鉄に乗ったり、レストランに入ったりした時に、色々な方から、「野口さんだ!」、「ミッションお疲れさまでした」、「ずっと見てました」など、声をかけて下さることが今回非常に多くて、非常に照れくさい反面、皆さんにそれだけ身近に感じて頂いたんだなと感じました。僕たちがやってきたことをお茶の間でリアルタイムで追体験して頂いたからこそ、そういう形で声をかけて頂けるんだろうなと思いました。それは本当にありがたいと思っています。 今後の訓練に関してですけれども、まずは次に飛ぶ日本人宇宙飛行士は私ではないと思いますが、誰かはまだ分かりませんが、その人のサポートのために全力を尽くしたいと思います。その上で、宇宙飛行士を続けていく上で、短期フライトの後に目指すべきものは長期フライトです。現在の私に足りないのは、ロシアでの訓練、それからロシア語の勉強ももう一度し直さなければならないと思いますけれども、国際宇宙ステーションでの長期滞在のための訓練をやっていきたいと思います。またスペースシャトルもあと数年で退役することが決まってますので、その先ソユーズ宇宙船等で宇宙ステーションに向かうことを考えますと、できるだけ早いうちにソユーズの資格を持った宇宙飛行士になりたいと頑張っているところです。 Q.ISSの現在の状況についてお聞きしたいのですが、サービスモジュールやディスティニー、ザーリャとかそれぞれ中はどんな状態で、宇宙飛行士たちはどんな暮らしぶりをしているのでしょうか? A.国際宇宙ステーションの様子ですが、若田宇宙飛行士が飛行したSTS-92では、まだ人間が住む前でしたので、国際宇宙ステーションに行ったのは日本人で私が初めてでした。その意味でも、これまで宇宙ステーションに行ったことのある飛行士に話を聞いたりして、大変楽しみにしていたんですけれども、結論から言うと、国際宇宙ステーションの中は非常にキレイです。ゴミが溜まっているのではないか、とか、物が散らばっているのではないか、というような報道が何年か前にされたこともありましたけれど、非常に整理整頓されていて、食糧や水が足りないということもなく、ロシアのセルゲイ・クリカレフ宇宙飛行士とアメリカのジョン・フィリップス宇宙飛行士が、非常に良く点検保守しているなという感じを受けました。ロシアモジュールはサービスモジュールとFGBがありまして、FGBは若干補充品や交換部品の仮置きスペースになって狭くなってるなという感じはしましたけれども、それでも乱雑な感じではなく、非常に整理整頓されて、色々な物が置かれているなという感じでした。 サービスモジュールには生活の匂いがあるんですね。単なる宇宙船とか、実験機器が置いてある場所というよりも、ここで確かに人間が暮らしているんだなという生活の実感が感じられる場所でした。食卓がありまして、我々クルーも何度かお相伴にあずかって、9名で食卓を囲んで色々な話をして過ごしました。あとは長期滞在クルーが睡眠する個室があって、そこにはクリカレフ飛行士の家族の写真や娘さんの写真や手紙が飾ってあったり、小さな窓がついていて、そこから地球が見えるようになっていたり、お宅におじゃまするような感じがあったのが新鮮でした。 アメリカの実験モジュールの方はジョン・フィリップス飛行士がNASAから持ってきた科学実験を一生懸命行っていたんですけれども、そこは宇宙の仕事場という感じで、色々な実験設備が整頓されて、整然と並んでいました。その中で、実はアメリカ人宇宙飛行士の個室はUSラボの方にあるんですが、そちらのほうも、ジョン・フィリップスの家族の写真ですとか、e-mailを打つように専用のコンピュータが入っていたりして、やはり宇宙での生活をしている長期滞在クルーのお部屋という感じがしました。 フライトデイ8か10のお昼に、日本で作った宇宙食を食べてもらおうと言うことで、ロシアモジュールにカレーライスや宇宙ラーメン、また宇宙でお茶会をやろうじゃないかということで、抹茶を持っていきました。本当は和菓子を持っていきたかったんですが難しかったので、アルミパック入りの羊羹を持って、お茶をふるまい、苦い抹茶ですけれどもみんな喜んで飲んで、羊羹も喜んで食べてくれました。その後、カレーライス、カレーラーメン、普通のラーメンといったものを振る舞って、みんなに大変喜ばれました。 Q.打上げの件ですが、今回、だいぶ待たされたりして、最終的にSRB点火して上昇したときに、どんなことを感じられたか、ということがひとつと、とはいえ、MS1は打上げのとき非常に忙しいと聞いていますので、実際、いろんなお仕事されていたと思うんですよね。メインエンジンカットオフして宇宙空間に到達するまで、どんな心境でいたのかをちょっと伺いたいのですが。 A.まず、打上げのときの感情というか、印象ですけども、一度、席に座ってから、燃料枯渇センサの不具合で外に出てしまうという経験をしてましたので、7月26日の朝は、席に座ってから、なんかあったらまた延期になるんじゃないかという気持ちをぎりぎりまで持っていたんですが、打上げ9分前になって、いろんなものが動き出して、これはもしかしてほんとに行くのかな、という気持ちになって、打上げ6秒前になると主エンジン、スペースシャトルの下にありますけども、3つの主エンジンが点火し始めるんですよ。そうなると、まだ加速度はないんですけど、振動が、がーっと音がして、あ、ついにエンジンが点火した、ほんとに上がるかもしれないと、待ち構えてました。で、3,2,1、リフトオフのときに、ふたつの固体ロケットモータに火がついて、もういよいよそこで上昇して行くわけですけども、その瞬間と言うのは、まっすぐ、加速度なんですけども、後ろから押されるというよりは、上向いて座ってますから、目の前は青い空なんですよ、青い空が見えてて、空に向けて椅子ごと引っ張られていくような、そういう感覚にとらわれたのを覚えています。押されているというよりは、空の向こうの宇宙に向かって、椅子ごと引っ張られていくようでした。で、MS-1の仕事は、まさに秒刻みで決まってまして、フライトデッキの船長、パイロットの補佐なんですけども、私が担当していたのは、さまざまな作業が時間どおりすすんでいるか、ま、タイムキーパーじゃないんですけどね、時間どおり進んでいるかというのを、チェックリストと照らし合わせながら、パイロットに指示していくのがわたしの仕事なんですけども、SRBが点いて、固体ロケットモータが点いて、ワーッとなっているなかで、冷静に、タイマを作動させたり、チェックリストをめくったりしながら。で、その一瞬にですね、実は、鏡をひざのところに置いといたんですよ、ひざに置いてある鏡をちょっと見ると、頭の上の窓越しに、上がっていくときにフロリダの海岸線が、ほんの一瞬ですよね、たぶんほんと、0.1秒とか0.2秒とかだと思うんですけど、視界の隅にそれがパッと見えたのが、非常に印象的に、まだ残ってますね。ほんと、時間にしてみれば、ちらっとみてまたすぐチェックリストに戻ったんですけども、頭越しに海岸線がみえて、あ、これはほんとに上がってるんだな、と、あと、これでゲストの皆さんに迷惑かけないですむなと思いながら、報道陣のみなさまにも迷惑かけずにすむなと思ったのを覚えています。そのあとは、8分30秒間、作業自体は、何百回もやったシミュレーション通りの作業なんですけども、今回のミッションでは、分離直後に、このオレンジ色の外部燃料タンクの撮影をすると、これは114回目のシャトルのフライトではありますけども、そういう形でMS-1が8分30秒で無重力に達したあと、すぐに撮影するというのは今までやってなかったんですよね。という意味で、実はNASAのほうでも、新人にまかせて大丈夫かという議論もあったんですけども、ずいぶん訓練したおかげで8分30秒で無重力になった瞬間に、パッパッパッと、パラシュートとかシートベルトとかを外して、位置について、比較的良好な映像を地上に送ることができて、非常に幸先の良いスタートを切ったな、という思いにとらわれたのを覚えています。 Q.日本に来て、日本の町並みとか見て、変わったなーと思ったことはありますか。 A.残念ながら、日本の町並みをゆっくり見ている時間がないんですけれども、いちばん変わったのは丸の内ですね。オアゾのあたりが変わっていたので、昨日、初めて、JAXAの東京事務所へ行ったんですけど、10分ぐらい道に迷ってまして、すっかり、おのぼりさん状態でしたけれども、空から見た日本と言う意味では、それほど印象的な違いというのはなかったですけども、これから日曜日には茅ヶ崎に行きますし、茅ヶ崎まで行けば富士山も見えますし、そのあとも、クルーを連れて、山のどこか空気のおいしい温泉のあるところに行きたいと思っています。その辺でまた、じっくり日本の景色を見てみたいと思います。 Q.改めて、宇宙飛行士に必要な資質、タレントとはどんなものが必要なんでしょうか。 A.私自身が身につけているかどうかは別として、異常事態が起きたときに、想定していなかった事態になったときに、冷静に状況を判断して、その時点、その時点でとるべき道を短時間で見つけられることは大切だと思いました。今回、新人の飛行士として参加しまして、ミッション中、例えば船外活動でもそうですけど、予期していない事態があったときに、7名のクルーがみんなで、状況をわーっと判断して、これはこういう事態だからこうしたらいいんじゃないかということを短時間のうちに的確なコミュニケーションで、短い時間で的確な意思疎通を行って、迅速な意思決定を行うということを経験して、やはりこれはすばらしいチームだと感じたことを覚えています。 Q.長期滞在の次の夢について語られましたけれども、多くの人が、ハプニング続きのフライトだったということもあって、ハラハラして見ていた方が多かったと思うんですけど、そう言う人たちから見ると、また、ハラハラする可能性があるフライトにまた行くのかという思いを持っている人も多いかと思うんですけど、その辺の感覚というのはいかがでしょうか。 A.そうですか、ハラハラするから楽しいというのもあるんですけどね。ハラハラドキドキというのは別として、じっくり宇宙空間に滞在して、地球を見てみたい、っていう気持ちはあります。スペースシャトルの飛行再開と言うことで、初めて行う作業も多いですし、前回のコロンビア事故の記憶も新しいところですから、不安になられた方、多かったかもしれないですけども、全体としては、NASAは非常に安全に、今回のフライトを見ていて万全の体制で、必ずしもすべてが予想通りには進まなかったですけれども、異常事態に対してもしっかりした説明を行って、考えられる限りの対策を打って、安全にミッションを遂行したな、というのが、搭乗したわたしの素直な感想です。 宇宙飛行は、やはり、危険をゼロにすることはできませんので、ただ、宇宙飛行を行うことで得られるメリット、人間が宇宙に活動の幅を広げて行くことで得られるメリットと、現時点の、ロケットに乗るという危険性、そのふたつを比べ合わせたときに、危険に対して、あらゆるメリットが大きいとわたしは思っていますので、この危険を冒してでも、重要なミッションのために挑戦して行くと言うことは、わたしは大事なことだと思っています。 Q.先ほどから、地球の美しさ、宇宙の美しさを是非日本の皆さんに伝えたいということがあったんですけども、具体的に、きっときれいだったんだろうなーと、画面を、テレビを見ていて思うんですけど、どんなふうにきれいだったか、具体的に教えていただければと思います。 A.宇宙船の中から見ている地球と、船外活動で見ている地球と、また、違うんですけれども、窓越しに見る地球とか星空とか、もちろんきれいですけど、景色としての、写真を見るようなきれいさという意味では、船内からの見ているほうが、いろいろな方向から見えるし、いいかなと思うんですけど、船外活動で、ハッチをあけて真空の宇宙に出て、特に、1回目のEVA、船外活動の時には、ハッチをあけて外をみた瞬間に丸い地球が見えたので、そのときに美しさというよりは、強烈な存在感、地球というものが、まさに、命に満ち満ちあふれているという、宇宙の中で命の輝きに満たされている天体であるという、感慨とか印象とかではなく、確信ですね、天啓のようなかたちで、自分のなかに起こった。これはすごい存在だと。 青かったと言いますけど、水の青さですね、それも微妙に表情を変えていくわけですよ、1時間半で地球を1周していますしね、刻々と海の青さが変わって行って、雲を通しての白い青のときもありますし、南太平洋で上から太陽を浴びてまさに鏡のように輝いているブルーもありますし、珊瑚礁のあたりでは、ハッと息を呑むようなエメラルドグリーンのブルーもありますし、ということで、単純に青ということで表現していいのかな、というぐらい、さまざまな表情を見せる青い地球を堪能しました。 ほんとに丸い地球、地球の丸さと回っているという実感を感じられたというのが、自分の中で驚きで、青くて、回っている地球を見ながら、単なる物体としての天体を観測しているのではなくて、そこにいる人たちと、手をのばすと届きそうな距離感なんですよ。実際には300キロとか離れているんですけど、ほんとに目の前に非常にリアルな存在としての人間がそこにいるって感じられたのが、とっても印象的でした。 Q.今のお話でも、ずいぶん宇宙の美しさというのに感動してしまったんですけど、宇宙に行くと、世界観とか人間観とか、感覚が変わるという方も、聞いた事があるんですけど、実際、野口さんが憧れの宇宙に行かれて、何か大きく変わったことってありますでしょうか。 A.人生観変わった、っていうほど、だいたい人間出来ていないので、あまり変わっていないんですけど、地球の美しさ、宇宙の美しさ、これは、地球に帰ってきたらちゃんと伝えないといけないな、という気持ちになったのは覚えています。もともと口下手で、そういうことちゃんと口で表現するのは下手なんですけども、自分だけ、独り占めにもできないな、と、特に、船外活動のときに、3回目ですかね、P6トラスという宇宙ステーションの一番てっぺんでの作業があったんですけども、そこに登っていって、作業を終えて、宇宙ステーションとシャトルを見下ろす形になったんですけども、その瞬間に、自分が宇宙ステーションのてっぺんというか地球のてっぺんに立って地球を見下ろしているという、こういう場所に立てたという幸福感というか、あるいは、冷静に、地球からはなれてこんなところに国際宇宙ステーションとスペースシャトルを作ってもってきてしまう人類の叡智に、素直に感動したというのを覚えています。 そういったことをどうやって伝えていけばいいかなと、幸いにして、EVAのとき、船外活動のときには、ヘルメットカメラで映像がとれるようになってまして、戻ってきてから、ずいぶんいろんな方に、あのときの映像はすごかったねと、P6トラスの上から見ているスペースシャトルの鼻先の様子とか、ロシアモジュールがスパッとつながっている様子とか、あのときの映像はきれいだったとかいう話をしていただきまして、少しでもそのときの僕の感動というのが伝わっていればうれしいなと思います。 Q.今回のフライトを振り返って、外部燃料タンクのセンサの問題とか、タンクからの落下物とか、いろいろと問題のある中で、NASAへの信頼感が揺らいだというところがあるんじゃないかと思いますが、帰ってきてNASAといろいろ突き詰めて行く中で、いま、改めてどのようにお考えになるかということと、特に、外部燃料タンクの落下物への対策について、考えをお知らせください。 A.結論から言うと、NASAは今回ほんとによくがんばったと思います。コロンビア事故の反省のひとつでもありますけども、色々な技術的な判断とか情報の流れが阻害されていたんじゃないかとかいうような反省があったので、ミッション中に限らず、この2年間半、NASAはそういったところでずいぶん、出てきた情報を包み隠さず伝えていくという、それはクルーを含めて、乗組員を含めて、それからプレスの皆さんも含めて、若干の時間的なずれは出てきてしまうんですけれども、それでもわかってきたことを包み隠さず伝えていくという点では、非常に良くなったのではないかと思っています。で、NASAの技術力に関して疑問があったかというと、必ずしもそういうことはないですね、むしろ、スペースシャトル初飛行から25年間経ってまして、なかなか25年間使い続けている機体っていうのは、ないんじゃないかな、と。ま、飛行機で、クラッシックな飛行機で戦前から飛んでるというような複翼機とかいうのもありますけど、これだけの複雑なテクノロジーをもったシステムをこれだけ長い時間続けていくっていうのは、おそらく、経年変化に対する対応も含めて、非常に難しいんだろうな、と。 燃料枯渇センサに対してもですね、1回目の打上げ延期があったあと、連日に渡ってNASAの中で対策会議を開いて、プレスの皆さんもご覧になったと思います、われわれも見てましたけれども、考えられる対策というのは全部やったんではないかと。もちろん、全部バラして、来年以降にフライトを遅らせてやるという考えもあったかもしれないですけど、あの時点で燃料枯渇センサが果たしている役割と、次に予定されている打上げへの影響、あるいは今回のフライトの、7月26日にありましたけども、打上げ前の燃料を注入してからのさまざまなテスト、プランを見る限り、もし、ほんとに故障があるならば、実際にエンジン点火する前にもう一度出てくるからはっきりしてくるだろうと。で、そうでなければ、枯渇センサが必要とされる8分30秒間の間に致命的な損傷は出ないであろうという確証が、少なくともクルーには十分得られていましたので、そういったことも含めて、NASAとしては妥当な判断であったなと思っています。 落下物に関しては、ちょっと残念な結果でしたね。今回のフライトの再開のひとつのキーになっていたのは、外部燃料タンクからの落下物をなくす、と、ま、ある程度以上の大きさの落下物は無いというのが、NASA側の基本的なスタンスでしたので、打上げから2分30秒ぐらいですか、こちら側のSRB、固体ロケットブースターが外れたときに、パルランプと呼ばれる断熱フォームがはがれてしまったというのが、ほんとに残念なことでしたね。113回、今回が114回目でしたけどね、過去のフライトの中でパルランプが脱落したというのは、これまで1回しかなかったんですよね。で、それに対してコロンビア事故で問題となっていたバイポッドというのは何度も何度もフォームの脱落があったところなので、コロンビア事故以降、そこのバイポッドのあたりは徹底した設計変更が行われまして、パルランプはそのとき取ってしまえばいいじゃないかという議論があったのを、わたしも覚えていますけども、NASAとしては、NASAとしてはというか外部燃料タンクの設計陣としては、今回、パルランプの上の方を取り去っているんですよね、取り去って、今回のフライトの結果を受けて、ほかのところも取っていいかという判断の材料にしようとしていたんですよ。で、そういう意味ではちょっと今回のフライトの結果というのは、技術陣にとってはかわいそうな結果になってしまったんですけども、今、NASAのほうでは、当然ながら、パルランプの設計変更、もしかしたら、全部取ってしまうようなことも含めて、一生懸命データ解析を進めているところですので、次回のフライトまでには、パルランプの設計変更がなされて、打上げにGoサインを出すであろうと思っています。 Q.先ほど野口さんが新人で今回行かれた、という話をされていまして、ルーキーという言葉を使ってらっしゃったと思うんですけど、今、日本ではルーキー議員が何かと話題になっているんですが、ルーキーということに対して、新人議員の方にメッセージを。 A.今回の選挙で初当選された議員の方々ということですか?すいません、わたし、今回、どんな方が当選されたか、よく存じ上げないんですが、ただ、同じ1年生飛行士と1年生議員ということで、ほんとに、恐れを知らず暴れてきたというのがわたしの感想で、先輩飛行士たちが要所を締めながら、それでも、1年生飛行士にやりたいようにやらせてくれた、ほんとにありがたかったな、と思っています。 1年生、ルーキーということで、変に萎縮せずに、自分がやりたいと思って望んできている活躍の場ですから、正々堂々と、自分のやりたいことを前面に出して、なにか問題があれば、きっと、先輩議員なり、先輩飛行士がカバーしてくれるので、思う存分、暴れてください。 Q.先ほど、宇宙空間のすばらしさ、体験された思いを、いい部分を聞かせて頂いたんですけれども、逆に、地上で何百回、何千回と練習されていたことが、当然、NASAもちゃんと考えていたシミュレーションなんでしょうが、具体的にやっぱり宇宙空間にでると勝手が違うんだろうな、と、想像するんですけれども、逆に、野口さんが宇宙空間に初めて行かれて、2週間の作業の中で、いちばん緊張されたこと、地上と勝手が違うな、と、そのとき、宇宙飛行士野口はどう考えて、どう判断して、どう乗り切ったのかということを、なるだけ詳細に、リアリティをもって教えていただきたいな、というのがちょっとひとつ。 もうひとつは、日本に戻ってこられて、ハリケーンの影響もあって、ちょっと早く戻られてご家族とお過ごしになったということですけども、どういうふうにすごされたのかな、というところを、2点ほど教えて下さい。 A.2問目から、簡単なほうから。日本に帰ってきて、1年と2ヶ月ぶりぐらいなんですけど、特にハリケーンの影響で慌てて脱出かたがた帰国していることもありますので、まずは、着いて2,3日はのんびりペースで家族5人でゆっくり過ごしてました。茅ヶ崎のほうにもちょっと帰っていたんですけども、ほんとに、子供たちにしてみれば、久々の日本ということで、ゆっくり、わたしの実家の茅ヶ崎の海あたりで遊べればいいなと思っています。 実際に宇宙に行って、思ったようにいかなかったことの詳細ということで、いま、ほんとに記憶に残っているのは、船外活動で最初の、ハッチを開けた瞬間は、What a view !なんて調子よくやっていたんですけども、実際に作業をやりはじめると、思ったより動けないなというジレンマというのは、すごいものがありまして、わたし、船外活動の訓練ということで、潜水訓練を400時間ぐらいやっていたんですけども、だんだん、逆に水中訓練を重ねていると、水中のなかの動きに慣れてしまうというか、だれてしまうというか、結論からすると、あったかな、という気がしてまして、無重力に近い体の姿勢でいろんな作業の練習をするというのは、水中訓練、いいんですけども、やはり、無重力空間でのいろんな物の動きというのは、水中とは、どうしても違いますので、早い話が、例えば、ものをなにか置いたときに、水中では、もちろん、飛んでいかないように、すべてひもがついているんですけど、水中であれば水の抵抗で、ちょっと置いているだけならば、ひもの力でここらへんに、こう、あるわけですよ。でも、宇宙空間は手を離した瞬間に、ほんとにどこにいくか分からない、っていうところですよね。例えば道具。必要な道具を箱に入れて持って行っているんですけども、水中で箱を開けたときに、地上の水中訓練であれば、中に、こう、整然をツールが入っているんですけれども、宇宙空間で最初にその道具箱を持って行って、いざ、作業をしようとしてふたを開けたとき、ぶわーっとツールが、もちろん、ひもついているんですよ、ひもついているからなくならないんだけども、開けた瞬間にふわーっとツールが、こう、びっくり箱のように出てきたわけで、ほんとに、自分がびっくりしてしまったわけなんですけども、そういうので、あせりというのが、全部で20時間ちょい、作業しましたけれども、最初の1時間とあとの19時間とで、疲労度同じくらい、ほんと、最初の1時間というのは、細かな違いというのが、ひとつひとつ疲労が蓄積していて、そういうのが、気がつかないうちに、過剰な力として入っちゃうんですよね。 例えば、移動するときに、手すりに沿って、グーッと、やっぱり、なんかおかしいなと思いながらすごい力を入れて動いていたり、あるものを動かすときに、ここからここに動かすときに、ちょっと押してやれば自然に来るんですよ、でも、うーん、と、こうやると、こんどはこう反対側にブレーキをかけてやらないといけなかったりして、だから、新人の、車習いたての生徒が、フルスロットルとフルブレーキを繰り返してるような感じですかね、そういう感じで、最初の1時間でへとへとになってしまったのを覚えています。そのときに、相棒のスティーブ・ロビンソン、彼も作業しているわけですけど、彼も、通信してる中で、あいつもへたってるな、と、感じたんですよね。で、たぶん、僕もそれ以上にへたっていたんですけど、これは、飛ばしちゃうとまずいな、というのがちょっとあって、作業の切れ目のときに、ちょっと一息ついて、いま、どういう状況にあるかというのを、お互い、交信で確認したんですよ。そこで、ちょっと一息ついて、まだ、先長いから、自分たち、最初から飛ばしちゃうと大変だから、Take slowというか、無理に急がずにやろうじゃないかというような感じで、ペースを変えてゆっくりやって、結果的には、それがすごく良かったんじゃないかと思います。で、あのまましゃかりきになってやっていたら、ほんとに2時間か3時間で電池切れになって、帰ってこないといけなかったかもしれないですけど、NASAの訓練はよくできてますけれども、どうしても地上でできることは限りがあります。宇宙に出たときの戸惑いみたいなものは、これから飛ぶ新人飛行士たちに伝えていきたいなと思っています。 Q.飛行中、ストレスフルなことがあったと思いますが、いちばん、クルーの方々と大笑いしたこと、楽しかったこと、いま、思い出にあったら教えて下さい。 A.ほんとに楽しいクルーで、期間中、笑いが絶えなかったんですけど、フライトの終わりのころですね、1日の終わりに、フライトサージャンというお医者さんたちと、医療上のチェックをする時間があるんですよ。ほんとに問題があるときはシリアスな相談をしないといけないんですけども、通常は、なんか問題ない?ないよ、じゃあね、って感じですぐ終わってしまう時間帯なんですけども、最終日、帰還する前の日に、アメリカ人のフライトサージャンたちが2人組で出てきて、ま、ラジオなんですけどね、2人でラジオ交信にでてきて、地上でフライトサージャンたちが考えたジョークをいっぱい披露してくれて、アメリカって、よく、Top 10 Reasonsってあるじゃないですか、なんか、宇宙飛行士になりたくない10の理由とかいう感じでジョークを作ってくれて、ほんとに1日の終わりで疲れていたんですけれども、フライトサージャンたちがリラックスさせてくれるためにそういうのを一生懸命考えてくれて、ぜんぜん予期していなかったので、それが非常にみんなで大うけしたのを覚えています。 Q.宇宙服ひとつで宇宙にいるってどんな気持ちなんだろう、って想像するんですが、たとえば、宇宙服って小さな宇宙船って言いますが、宇宙に抱かれている幸福感を味わえるものなのか、それとも、テザーが切れたらどこかへ行ってしまうとか、デブリがあたったら気密がもれてしまうとか、恐怖感を感じるものなのか、どういった感覚を抱かれたのかをお聞かせ下さい。 A.最初の1時間とその後とで違うと思うんですけども、最初のうち、動きが慣れないということもあるんですけども、広い国際宇宙ステーションの、USラボを移動して行くときに、手すりを持って下を見たときに、地面は300キロ下なわけじゃないですか、そういうのであわててギュッとつかまえたりして、これは落ちたら大変だな、とか、命綱外れてないかな、とか、確認したりしながら動いてたんですけども、1時間ぐらい経って慣れてくると、だんだん大胆になるのか、もちろん、手すりを外したら危ないんですけども、自分が宇宙船と、国際宇宙ステーションと一緒に地球を回っているというのが当たり前になってくる。だから、たぶん、手を離しても大丈夫だと思いながら、ふわふわと自然に、漂っているという言い方かもしれないですけども、一緒に地球を回っているという感じがするんですよね。同じスピードで、宇宙ステーションとスペースシャトルと自分が、別々の物体だけれども、一緒のスピードで回っていると。だから、一緒のスピードでまわっているから、ここで手を離しても大丈夫、と。命綱がないと大変、とか、そういう感じは、感覚としてはなくなってきます。もちろん、命綱は大事なので、ちゃんとついているかということと、変なところに絡んでないかということは、基本的な技術として、EVAの技術としてチェックするのは覚えているので、いろんな作業をする合間に、ちゃんとついているということを確認しながら進んでいるんですけれども、それがないと落っこっちゃうという感覚は、だんだんなくなっていくもんだな、と思いました。 で、宇宙服も、1人乗りの宇宙船とかいいますし、わたしもそう言いますし、それが自分の体温とか、何かあったとき、宇宙線から守ってくれるというのは意識してやってるんですけど、20時間ぐらいやってますと、体の一部のような感じがするんですよ。だから、船に乗っているという感じ、それほど離れた存在ではなくて、宇宙服という言葉どおりなんですけど、自分の服の一部となって、EMUという白い宇宙服を着た状態で動くのが自然な、そういう身体感覚に切り替わっていくので、手袋もたしかにごわごわで大変なんだけど、そのごわごわさも含めて、それが自分の自然な動きなんだ、っていうふうなところまでいけると、EVAというのはほんとに楽しいなと。私自身は、2回目の船外活動の終わりごろに、そんな感覚にやっとなって、ジョイントの位置とか手袋のかたさとか限られた視界とか、裸でやっているのに比べればいろいろ制約は大きいんですけど、その状態で作業するのが極自然に思えて来るというのが、ひとつのターニングポイントとしてあるかな、と思います。それを過ぎると、船外活動というのは、楽しくて、楽で、実りの多い時間になるなと思います。 Q.野口さんが地球に帰ってこられたあとに、日本で宇宙旅行の発表がありました。ご覧になったかどうか分かりませんが、一般の人が月なり宇宙ステーションに行くには、10億円以上のお金がかかるのですが、もし、宇宙飛行士になっていなかったら、10億円以上のお金を払ってでも行きたいですか、というのがひとつ。 それからもうひとつは、それぐらい限られた人しか宇宙に行けないという現状なんですけども、宇宙飛行士としての社会的な責任というかですね、それをふまえて、これからどういう宇宙飛行士になりたいか、あるいは、社会にどう働きかけをしていきたいか、ということを教えて下さい。 A.まさに、これから宇宙に大勢の人が行けるようにするための仕事っていうのが、われわれ、宇宙飛行士の仕事だと思っています。スペースシャトルの安全性の確保もありますし、次世代型の宇宙船というのもありますし、そういう中で、より身近な宇宙飛行というのを実現していくことが、我々、宇宙飛行士の使命であろう、というのは、私が宇宙飛行士になってから変わっていません。私自身も、一介のサラリーマンからこういう仕事について、宇宙飛行士になったので、一般の方が、必要な訓練さえすれば宇宙に行ける時代というのは、案外、近いんじゃないかな、というのが、私の考えです。 そうは言っても、現時点で宇宙に行けるのは、非常に数が限られてますし、私のように、仕事で宇宙にいくか、プライベートで非常に多くのお金を払って行くかしかないわけで、そう言う意味では、日本人宇宙飛行士としては、自分が得たもの、感じたものをできるだけ日本の皆さんにお伝えして、自分のリアルな体験として感じていただけるように持っていきたいなと思っています。やはり、日本の皆様に宇宙開発の重要性というものをお伝えしていこうとしている訳ですけども、自分に近いものであるというふうに感じていただけないと、なかなか難しいと思うんですよ。だから、今回私が、STS-114というミッションに乗ったことで、日本の皆さんに宇宙飛行が身近になったと考えてもらえれば嬉しいし、例えばミッション中に、ちょうど夏休み中だったということもありますけども、ずいぶんいろんな映像が流れて、日本の子供たちが、あれは20年後の私の姿かもしれない、あるいは、僕と同年代の人たちが見たときに、あるいは僕の同級生かもしれない、年配の人からは、あー、あそこにいるのは自分たちの息子かもしれない、自分に近いところの存在の人間が、宇宙に行って、起こったことを追体験できる、という思いで見ていただけたなら、おそらく、このミッションは成功だと。実際、そこに行かなくても、宇宙で起こっていることを我が事のように考えられるということが、宇宙飛行士としての使命だと考えていますので、その上で、できるだけ大勢の皆様が行ける時代が早く来るように、技術的にはお手伝いしていきたいな、と思っています。 |