帰還後記者会見(2005年8月23日)最終更新日:2005年8月24日 2005年8月23日(火)午前8時から8時30分まで、野口宇宙飛行士帰還後記者会見が行われました。 【野口宇宙飛行士帰還後報告】 まず、野口宇宙飛行士は帰還後の報告をしました。 野口:日本のみなさまこんにちは。朝早くからご苦労様です。8月9日にミッションを無事に終了いたしまして、約2週間が過ぎました。打上げ前から様々なトラブルに見舞われたミッションでしたけれども、地上の管制チームと宇宙の我々宇宙飛行士クルーとが一体となって、次々と問題を解決して、素晴らしい成功を収めたと思っています。 打上げの延期ですとか、あるいは着陸地の変更等で、かなり振り回された方もいらっしゃるかもしれませんけれども、日本の皆様の暖かい応援のお陰で、日本にとっても非常に収穫の多いミッションになったと確信しています。 私にとってもコロンビア事故以降の2年半、それから訓練を通して4年間というのは非常に長い期間でした。高い山は登れば登る程、高く見えるというような言葉がありますけれども、打上げに近づけば近づく程なぜか打上げまでの障壁が高くなるようなそういう焦燥感にかられた時期もありました。 勿論、長い間の夢を実現できるのかどうかというような、そういう焦りもあったのですけれども、こんなに素晴らしいクルーに恵まれて、こんなに充実した訓練を過ごしていながら、それを発揮できないのは凄くもったいないなぁというようなそういう気持ちも強かったと思います。 何とかここまで来れたのは、何としてもゴールまで走り抜きたいという、私自身の気力と、ミッションに集中できるようにJAXAという組織がまさにトップから末端に至るまで私を支援してくれたお陰だと思っています。 ミッション内容ですけれども、自分自身では本当に100点を付けたいと思っています。この4年間の自分の訓練とコロンビア事故以降の2年半の苦悩を全て綺麗に消化できたなと思っています。 打上げ前に若田宇宙飛行士から思う存分暴れてきなさいというような言葉をいただいて送り出されたのですけれども、ディスカバリー号とISSという素晴らしい舞台でまさに思う存分暴れて来れたかなというような満足感があります。 非常に印象に残っているのは船外活動ですね。特に初めてハッチを開けて外に出たときに目の前に広がった青い地球の美しさというのは本当に忘れられません。 それと同時にその何もない宇宙空間で漂いながら青い地球を見てそこに暮らす何十億人という人々の生活というのが非常に自分の心の中に浮かんできたのが興味深い経験でした。やはり有人宇宙活動というのはどこにあっても、常に地上で暮らす人たちのことを忘れてはいけないということなのかなと思っております。 帰還から今2週間くらい経ったところで現在はNASAでの様々な技術報告会に明け暮れています。NASAにとっても2年半ぶりのリターン・トゥ・フライトということで今回の様々な成果、反省点を吸い上げて次のフライトに活かそうという強い意図が感じられます。 また、来年3月にはこの次のスペースシャトル・フライトSTS-121が予定されていますので、そのフライトに向けて今回の成果を確実に反映していこうというような意気込みも感じられます。 私自身も今回のミッションの経験をこれからの日本の有人宇宙開発に活かしていきたいと思っています。 これからは次の搭乗機会を待っている他の日本人宇宙飛行士のサポート役に回って私が学んだこと経験したことを活かしていきたいと思っています。と同時に今ヒューストンで新人訓練に明け暮れている3名のISS搭乗宇宙飛行士にですね、古川さん、星出さん、山崎さんの3名に今回の経験を伝えて彼らが1日も早く宇宙に行く日が来れるように微力ながらお手伝いしていきたいなと思っております。 最後に手短にペンシルロケットの件、打上げ前にお話しする機会がなかったので、ちょっとご紹介したいと思います。ご承知の通り今年はペンシルロケットの最初の実験から50周年にあたります。今年の春頃ですか、このペンシルロケットの業績を広めるために何かお手伝いできないかと毛利宇宙飛行士と的川執行役にご相談申し上げました。そのときにペンシルロケットを持ち込んではどうかと、本物を探し出して、それを国際宇宙ステーション、スペースシャトルのリターン・トゥ・フライトに乗せられないかという話になりまして、準備時間はほとんど無かったのですけれども、幸いにしてトントン拍子に話が進んで、今年の6月位ですか搭載期限ぎりぎりに何とかNASAに納入できたという次第です。ミッション中にも申し上げましたけど、このペンシルロケットは長い時間をかけて宇宙に到達したと、ペンシルロケット自身にとってもリターン・トゥ・フライトになりましたし、長い時間をかけて夢を実現することの大切さという話をしました。もうひとつ私にとって興味深かったのは、夢を実現するっていうのは思いもよらない手段で到達することもあるんだなということです。もしコロンビア事故がなければ、もし予定通り2003年に私が打ち上がっていたら恐らくこのペンシルロケットを持っていくことはなかったでしょうし、あるいはJAXAという組織統合が無かったらこんなに短い時間でペンシルロケットの実物を私がお預かりすることも無かったかもしれません。 私はペンシルロケットの実験から10年経って生まれましたけれども、学生時代には旧NALでお世話になって、旧NASDAで宇宙飛行士としてこの世界に入って、ずっと10年間訓練したわけですけれども、今ここに来てISASの流れを汲むペンシルロケットを国際宇宙ステーションに運ぶという大役を引き受けることになって非常に光栄に思っています。このペンシルロケットが持つ意味というものをですね、これから50年の日本の宇宙開発を担う若い人たちに伝えていきたいなと思っています。 以上です。また近いうちに直接日本に帰国してですね、日本の皆様にミッションの経験談、それからこれからの日本の宇宙開発の姿といったものを直接お話できることを楽しみにしています。
【報道陣との質疑応答】 引き続き質疑応答が行われました。 Q.茅ヶ崎では打上げ、帰還、烏帽子岩のライトアップ等、地元の皆様が野口さんを励まそうと色んなイベントを企画されていまして、その辺の思いというものは宇宙の野口さんに伝わったのでしょうか。 A.本当に茅ヶ崎の皆さんには今回色んな形で応援していただいて、非常に嬉しく思いました。ライトアップ、それから市内のライトダウンといったイベントもありますし、今の服部市長からは何度も応援のメールをいただいたりしてとても嬉しく思いました。
宇宙から本当に相模湾、それから茅ヶ崎の町並みはよく見えました。写真を宇宙からお送りさせていただいたこともありましたけれども、烏帽子岩も心の目で見るというような話をしましたけれども、撮影した写真を拡大してみるとちゃんと分かるんですね。そういう意味では皆さんの気持ちも、茅ヶ崎という街の存在感も宇宙にしっかり届いているなぁというように感じました。 Q.技術報告に明け暮れていてお忙しいということなんですけれども、具体的な反省点ですね、どんなことを報告されているのか、成果はどんなことを報告されているのか、というのが1点と、今後のご予定といいますか、夏休みのご予定とか、ご家族とゆったり過ごす時間とかご予定されているのでしょうか。 A.先ず技術報告会の件ですけれども、特に私の場合は船外活動と主に担当していた様々な撮影機器に関する報告が中心なんですけれども、幸いにして船外活動は3回ともうまくいきましたので、我々が今やっていることはこの次のミッションの準備をいかに楽にしてあげられるか、それからもしもう一回同じ作業をするんだったら訓練の中ではこういうことに注力した方が良いのではないかというような提言が中心ですね。 直接次のミッションの宇宙飛行士たちに話すこともありますし、インストラクタの人たちあるいは、管制センターの人たちにですね。いろいろな指示を受けた中で宇宙飛行士は軌道上でこういう風にそれを理解して、実際の行動に移したということでお互いの意志の齟齬がないように今のうちにしておきたいなというのが大きな目的です。 夏休みはですね、アメリカでは夏休みは終わって子ども達は学校に戻っているんですけれども、私はもう少しこの報告会が続きますので、週末の間いかに子ども達と楽しく過ごすかというところになるかと思っています。 Q.地球を見まして何億の人が住んでいるかと感慨を持って感じてたとおっしゃっていましたけれど、具体的に地球の人々というときにどういうイメージ、どういう方を思い浮かぶのでしょうか。ミッション中家族の方だとか、アフリカの上ではアフリカの方を思うのか、地上ではロンドンでテロ等も有り色んなことが起きているのですけれども、どういうことをイメージされていたのか。それが1点ともうひとつは気象の状況でケネディに降りれなかったあと1日、ゆっくりされた時間があったと思うのですがそのときにはどのような時間の過ごし方をしてどのように宇宙を楽しんでいたのでしょうか、その2点をよろしくお願いします。 A.船外活動のときに、忙しい任務だったのですけれども、ロボットアームに乗って移動している間に地球を見る時間があるのですけれど、自分自身で全く予想していなかったのは地球の美しさであったり、星空の美しさであったりといったことは堪能できるだろうなというのがフライト前の予想だったのですけれども、地球を見ながらですね特定の人というよりは自分が今見ている土地にどういう人が住んでいるのかなというような普通の人たちの生活ですね、恐らく自分がそこに行くことは無いかもしれないアフリカの大地であったり、深い深いシベリアの森林であったりするわけですけれども、そういうところを通りながらここに住んでいる人はどういう生活をしているんだろうなというようなことが全く自分自身の予期しない形で頭の中に浮かんできたのが、自分自身の戸惑いというか発見だったのですよね、それが余り事前に考えていなかったことだったので非常に印象に残っているということです。そこに暮らす人たちの普通の生活がどういうものなのかなという、そういう興味でした。 着陸できなかった日はFD14、14日目にケネディに2回チャンスがあったのですけれど残念ながらパスになって、最初の内は一旦着陸するために色んなものを片付けていたところから、また1日宇宙で過ごすための模様替えというか、色んな機器を引っ張り出してきたりして時間を過ごしていたのですけれども、その後は非常にリラックスした時間で地上の人たちには申し訳ないくらいで、みんなで窓に張り付いてオーロラを見たり、丁度ニュージーランドの南側を通るパスで非常に美しいオーロラが見えたので皆で見ていたり、ミッドデッキで最後に残った食料を皆で分け合いながらキャンプの終わりの日みたいですけれども、そういう感じで非常にリラックスして過ごせた時間でした。 Q.来年3月のシャトルの打上げについてはどのように受け止めていらっしゃるでしょうか。 A.今回のSTS-114とSTS-121の2回合わせてがテストフライトであるというNASAのこれまでの姿勢は変わっていませんので、今回の成果が着実にSTS-121に反映されるように、ETからのPALランプの断熱材の剥離も含めてですけれどもね。今回のフライトでデータを色々取ってきていますので、次のSTS-121に向けて問題がひとつひとつ潰せるように我々も協力していきたいなと思っています。 Q.船外活動での五感で感じられたご体験をお聞きしたいのですが例えば音とか手触りとか匂いとか肌に伝わってくる冷気とか暑さとか、お聞かせ下さい。 A.船外活動の時の五感ということですね。非常に印象に残っているのは、地上での訓練で全く経験できないことのひとつに45分毎に昼と夜がくるというデイ・ナイトサイクルというのですが、それが思ったよりも五感というか第六感で感じるんだなということが非常に印象に残っています。具体的にいうとですね、夜の時間帯から朝の時間帯に移るときに、宇宙での日の出があって昼間に移っていくというときにバーと温度が上がっていくのがですね本当は宇宙服でシールドされているので中の温度はほとんど変わらないようにされているんですけれども、それでも人間の感覚として周りが夜明けから昼に移っていくときにですね2,3分の間に真っ暗なところから真っ昼間に移っていくんですけれども、そのときに自分の体がこれから昼に変わるぞというので、バイザーを下げたり温度を下げ気味にしたりすることが手順としてじゃなくて自分の体の反応として熱くなるから下げたいとか眩しくなるからサンバイザーを下げようということが自然に自分の中で反応するということが非常に面白いなと、逆に昼の世界から夜の世界に移るときに闇が襲ってくるというような第六感があるんですよね。それがヒータをつけたりとかライトをつけたりという動きになるわけですけれども、そういうことが体の予感として感じるということが非常に面白いなと思いました。残念ながら嗅覚とか聴覚というのは空気が無い世界で遮断されているのですけれども、ある意味で体にあたる太陽光の力というのですかね熱であったり、温度の変化に対する予兆みたいなものを感じるのかなと思いました。 Q.今回のミッションと違う話題になるのですが、今日本では総選挙に向けまして色々話題が増えていまして、その中でも各界の実力者、実績のある方に対して、刺客という言葉が流行っているのですけれども、そういう形で立候補の要請が各党から行っているのですが、因みに野口さんにはそういう要請はございませんでしたでしょうか。 A.ないですね。日本の情勢は全く疎くてよくわからないのですけれども、私はこれから搭乗を待っている他の日本人宇宙飛行士のサポート役に回って頑張りたいと思っています。 Q.それに関連しまして、今回の総選挙に向けて政治家の方や国民の方に宇宙開発という視点から何かこういった面を考えてもらいたいなということがあれば一言お願いします。 A.ミッション中にも申し上げましたけれどやはり宇宙開発の日本の子ども達に与える影響というものを私自身もこれから打ち出して行きたいと思いますし、子ども達が大きくなったときに宇宙でどんな夏休みになるのかなというような身近な切り口から日本の宇宙開発というものはどういう風に進めたら良いのだろうかという大人の方達への問いかけであったりと、色んな形があると思いますけれども政治家の皆様にも是非、人を宇宙に送るということの意味が回り回って日本の青少年の育成にどういうように活かされるのかと、どういう可能性があるのかということを考えて頂ければなぁと思っています。 Q.今回再開第1号ということでアメリカにとってものすごく大きな出来事だったと思うのですけれども、それに日本人として大きな役割を果たされたことに帰還から2週間経って改めて意義の大きさをどのように捉えられていますでしょうか。 A.やはり2週間経って思い起こしてみても凄いミッションだったなと、忘れられない15日間になったなという気持ちはあります。色んな方から応援していただいたこともありますし、NASAが本当に組織の威信をかけて、JAXAもそうですけどね、JAXAとしても組織の全力を尽くしてこのミッションの成功に本当に尽力してくれたというのがひしひしと伝わってきました。そういうところにやはり日本人として参加させて頂いたと、そして単に参加するだけじゃなくて大きな任務を与えていただいて、自分の力をそういう舞台で発揮させていただいたというのは本当に宇宙飛行士冥利に尽きるなという思いです。 Q.ミッションを100点満点だとおっしゃいましたが、次の飛行に向けてあのときああすれば良かったなとか2週間経って思い返してみて100点なんだけれども次に活かす、野口さん個人的に活かすべきことについて何か思い浮かべたことはございますでしょうか。 A.今は思い起こしてみても本当にやり尽くしたなという感じが強いです。100点満点と言ったのはフライト前にやろうと思っていたことは100%やりましたしね、ミッション中に思いも寄らなかったことで時間ができたときにエデュケーショナルビデオということで宇宙での色んな遊びをダウンリンクさせてもらいましたけど、ああいったことも打上げ前には考えていなかったのですけれども時間があったところでコリンズ船長から了解を得て作っていったりするんですけれども、そういったことも含めてやりたかったことはやり尽くしたなと、完全燃焼したなという気持ちです。 Q.今も左胸に付けていらっしゃいますが、烏帽子岩のネームタグですね。これは出発前にクルーの皆さん全員で青い訓練服につけていらっしゃったと思いますが、それを配ったときに皆さんどういう気持ちでクルーの方々は付けてくれたのかその様子を教えてください。 A.このネームタグは茅ヶ崎のボーイスカウトの一緒にやっていた仲間がですね、送ってくれたもので、私の名前だけじゃなくて7人全員の名前をそれぞれタグにして送ってくれたのですけれども、それをクルーに配ったときに非常に喜んでいただいて、なかなかミッションパッチをネームタグに織り込むってことはNASAでも無いんですよね。ボーイスカウトが作ってくれたということも非常に受けましたし、絵の感じも非常に良いと、スペースシャトルが登っていくような感じが非常に良いとみんな喜んでくれて、僕としてはやはりNASAの色んなイベントに付けてもらうのを頼むのはやりすぎかなという感じはあったのですけれども、彼ら自身がこれは良いといってケネディ宇宙センターに着いたときに全員で付けたりしてくれて、本当に彼ら自身が喜んでくれたなという感じですね。 Q.今完全燃焼したという風におっしゃられましたけれども、9年間ずっとこの日を待って、それが終わって、全てやり尽くしてこの後野口さんをドライブしていくもの、一番大きなものは何ですか。 A.先ず今本当に考えているのは、この4年間、特にこの2年半というのは先頭に立って色んな人にサポートしてもらって担ぎ上げられてきたという感じだったんですよね。ひとつ舞台から降りて、次に飛ぶであろう日本人宇宙飛行士の人たちのサポートをしていきたいなと。後は本当に今自分が持っているもの、今回のミッションで得たものを還元していきたいなというそういうところがしばらくはドライブになるのかなと思っています。 |